日本の学校で見たアナログの日々
20歳までアメリカの教育を受けてきた中で
突然ある日、運命かのように
日本に来ることになり、言葉も
左も右何もわからず来日。
ハワイは日本と似ている部分は多いものの
異なることもその分たくさん。
その一つは教育の中のものだった。
当たり前がなくなったその時
生きてる中で
ある程度の当たり前ができてるかもしれない。
当たり前が固まる年ごろ
本来の卒業年齢22歳に
専門学校に入学。
最初は年齢のバリアで
不安だった私は
授業受け始めたら
年齢以前の固定概念が覆されることが。
ノート、鉛筆、教科書。
全部紙でした。
ちゃんと聞いた内容を鉛筆で書き
教科書で大事なところを
ハイライターで強調。
最初に思ったこと
「今まで受けてきた授業と違う。」
初めてに満ちた風景が私を謎めいた。
巻き戻された現在
まるでタイムマシンに乗ってる気分。
アメリカとは全く異なるその風景。
母国だと紙類はあるものの
授業の8-9割はデジタル化されてる。
教科書がパソコン内のCDとなり
鉛筆が両手で打つ固いキーポードに
メモするものは目の前のノートパソコンに。
算数は頭脳あるのみ
巻き戻された気分そのもの。
電卓なしでは叱られる青春の日々が
大人になり持っていると怒られる。
全てが覆された。
電卓持たず計算していた私。
頭が真っ白に変換し
数字が入ってこず終わった授業。
もしかしたら今まで電卓が脳になっていたのでは
そんな疑問が頭によぎった。
脳内電卓で一瞬で答えを解き明かす日本人。
感服しました。
時間が有限と気づかされる
便利だった青春時代
そんなのは消えてしまい
土台作りに挑んだ毎日。
左利きな私は人生初めて何時間も
ノートに記帳情報を記載し
手の横が鉛筆あとだらけに。
手を見ながら
人生初めてここまで勉強に専念したと…
皆に追いつくよう必死な自分。
時間の短さが嫌なほど体中に
刻まれたこと、微かに実感
その中でも活躍の場があった
驚かされる日々の中での
2年目の授業の日の話でした。
発表やプロジェクトを主に励んでいる授業
チームワークと協調性が発揮され磨かれる授業。
そこで待ちに待った役に立てる日が。
毎月のように様々な内容で発表を命じられる。
最初にやるのは役割分担。
秘書、発表者、パワーポイント作成、タイムキーパー・全体管理
周りのメンバーは4つの役を競い合い
残されたのはパワーポイント作成。
教育かその人自身との関連もあり
パソコンに自信持つという声が少なく
励んだこの課題が
私を輝かせた居場所。
無能が有能に
最初は日本とアメリカのパソコン取得・知識の違いに圧倒。
それでも自己流を貫くことを決意。
決意したものの
不安と心配は消えたりしない
その中でタスクをクリアし
発表日までそれぞれの役割を果たすメンバー
他のメンバーはしっかり者ばかりで
段取りよくきれいにこなす。
心配が増す。
そして発表日が
パワーポイントを開いて
発表が始まり、続き、終わる。
最後には大きな拍手。
そして生徒も先生も
自身で作成したパワーポイントに
褒め言葉をかけ。笑顔を絶えなかった。
メンバーも笑顔に。
見やすくてシンプルで
要約がしっかりと。
自己流を貫く中合わせてくれた
メンバーの臨機応変さに感謝しきれず
でした。
皆違って皆いい
日本語を学ぶときに初めて取得したフレーズ
そしてその言葉が頭によみがえったのは発表時。
それぞれの長所、違い、個性を生かして
傑作ができあがり。
違う文化違う環境で育った者同士が揃うと
創造を遥かに超える何かができると
その瞬間に確信。
我の世にも奇妙な話
授業内だけでもなく
学生生活すごす中でもなく
就活しているときに
ぞっとするほど驚かされた。
私を待ち受けていた恐怖―
(就職活動)履歴書。
その話はまた次回に。