体型を愛すべきか?海外と日本の話。
家の中もパソコンにも
テレビにも歩くその街にも
キレイでキラキラで眩しい生き物
がうろついていて目が離れない
モデル、女優、俳優、見るからの美男美女
避けても避けても
目に入っちゃう
そんな生き物
最初は見ていて輝く
かつて光っていたあの子達は
一瞬して輝きから暗闇に変わっていく。
比較という暗闇に向かって変わっていく。
それはどこの国に行っても変わらない事実
ただその事実に対しての対策、解決法、捉え方
全てが違って全てがそれぞれ国を表してる
大切なメッセージがこもってる。
アメリカで思ってた当たり前
ちょっとだけの特別扱いとその無償な幸せ
アメリカでは体型としてはかなり細めで
周りからいつも食べ物を提供してもらえる
とても嬉しい空間だった
その中で私は毎日のように食べまくり食べまくり
何も気にせず何も考えずに幸せに目の前の食を堪能していた
でもそこにはアメリカが理想としていた体型も原因にあった
私の場合は幸せで楽しくて体型気にせず
食べれるという日常だったけど
アメリカは世界でも一番と言っていいほど肥満が多い国。
太っちゃうのも当たり前。食の量が半端ないもん
そしてアメリカが理想とする体型はある程度ぽっちゃりで
健康な体型。むしろ日本がすると「太ってる」
という枠に入るかもしれない。
キムカーダシアン(Kim Kardashian)という
プリケツを極めてる女性がまさに
現在のアメリカが理想とする女性像、体型だ
だからなのかもしれない。
もっと食べて。そのままで大丈夫?どんどん食べちゃって
と言われ続けてきたのが。
プリケツも達していなくてただの細身だった
細いから何?それでも愛していいのか?
アメリカの昔は細いモデル、細くてなんぼ
そんな社会だった
でも自己主張の強いアメリカ人はそれに戦った
おかげでいつしかプリケツが上に立っていた社会に変化
そしていつしか細い人にクレームが殺到していた
そんなんじゃ死ぬよ?ちゃんと食べてる?
なんでそんな細いの?
細いだけで変な目で見られることもあった
中にはいくら食べても太れない子だっている
その子でさえ食べる量見られたり、
体型を指摘し続けられた毎日だった
あなたの体型に対する愛はどうでもよかった
アメリカは多国籍だから色んな色、形の人が誕生し
その国を美しくしてくれてる
なのにアメリカがメディアで推し始めた体型は一つだった
あなたの体型なんて社会はどうでもよかった
プリケツでアメリカの美というものを
追求していればそれでよかった
社会が愛する体型だったら
それでよかった
体型を愛しようというメッセージ
アメリカは他の国よりも
体型を愛しよう。
生まれた体を愛しよう。
そうい続けている。
そのわりにプラスサイズのモデルさん
を主張したがる。
少しでもちょっとふくよかな人に
健康考えよう
と発すると炎上しだす中で細身の方に
同じこと言うとまるで当たり前
それが私がみた「当たり前」だった
日本で目にした違う体型の概念
来日して感じた劣等感
自分は細いまだまだ大丈夫と思ってた
20歳になる直前
大人になる直前に訪れた日本は
全然違うことを見せてくれた
私が見た風景は
皆細くて綺麗で化粧も意識していて
よくテレビで見たモデルさんのような
女の子が一般人として歩き回っていた
そこで初めて思ったのは
あれ?私このままで大丈夫?
細身と思われてたアメリカと正反対に
日本に来て初めて自分のこと「太い」って感じた
そこから始まったダイエット
日本で作る友達にしても
飲食店で普段出される食事にしても
全部少量で健康ものばかり
その3倍を食べてきた私からすると
かなりなれるのに時間も我慢もたくさんだった
だから日々周りの食生活、食べるもの、量に
合わせて同じように進んでいった
それをし続けてたら7キロ減少
これでやっと追いつけたかな?
これでやっと私も日本の服着れるかな?
細いって言われるようになるかな?
そんな問いかけが頭をいっぱいにさせた。
日本のメディアが見せる「美」
BMIというものがあって点数によって
痩せてるか肥満か全てはかるけど
日本だとそれがまるで関係なかった
ありのように細い腕を持つ女性たち
男性も筋肉よりもかなりの細さがあり
むしろ売りでメディアで
それが「理想」として表示されていた
服屋さんにあった狭い選択肢
服屋さんに行っても
まさにテレビで見てた日本からした「理想」
の体型が着るようなものが勢揃い。
アメリカだとちょっと大きめな服が多かったけど
小さい服もあり、多種多様な社会だからか
選択肢は限りなく広がった
その一方日本の服屋さんは
通常細身の日本人のための
服ばかりで当時来日した私からしたら
シャツは大丈夫だったものの
ジーパンなど全然着れなかった
だから私はおもった
あっもっと痩せないと自分が住む国の
服は着れないのか
とね。
しかもまた社会の目が厳しめな日本では
個性が出しづらく迷うことも合わせることも多かった
それはまた別記事で話す。
それぞれの国なりの対策。
アメリカ
問題に対しての対策というよりも
アメリカ社会の強い主張で取った
対策でもあるけど
当初は白人で細身が理想だったアメリカは
服屋さんから始めメディアに響き渡った社会の声が形になった
黒人、アジア系、ラテン系とメディア
での体型と人種が激増し
服屋さんに行っても
サイズの幅もさらに広がっていった
あなたのままで大丈夫
というメッセージの歌やそれをおすセレブたちも
増え、自信なかった一般人はそんなメッセージたちが
支えとなり、先に前に進んでいった。
日本
日本もグローバル化になっていく世の中の影響なのか
日本人ばかりだった島国も
ハーフのモデルや外国系のタレントも増えたおかげか
プラスサイズ(大きめなサイズ)の服屋さんも
増えるようになった。
渡辺直美
かなり大きいな影響を与えたくれたのは
渡辺直美なのかもしれない。
彼女自身もプラスサイズだけど
それをあえて活かし
彼女に合う服あるかないか関係なく
似たような女性たちのために
アパレルブランドを立ち上げたり
プラスサイズ用の雑誌を作り上げたり
本当に心底から尊敬できる女性だと思う。
それで体型だけじゃなく
彼女の持ち前の面白さと人徳で
社会を大きく変えていった。
そう思ったのだ
ありがとう、渡辺直美
日本の社会、その視野を少しでも広げてくれて。
西洋化される食生活
内容的な多少飛んじゃうけど
ここに関しては健康にいいと言われると
そんなよくはない。
でも外国人もそうだけど
量を気にせず食べたい子したらそうだけど
(私もそうだけど)
かなりありがたい現象でね
ハンバーガー、ピザ、その他の洋食の店舗
が増えてきて、それが「アメリカ」という
イメージはあるけど、懐かしいものを
気にせず食べれるのは正直なところ嬉しい
それもあって今も自分が持ってるジーパンは全部
アメリカ製のものになった
アメリカ系の食事が増えて、体重も増えたけど
それと同時にちょっとだけの幸せも増えた気がする
幅が広がってやっぱりたくさんの幸せを
感じれるようになった気がする
終わりに
結局のところどっちの国も
偏った意見、概念だらけだし
でも思ったのは
メディアが見せるイメージを
少しでも変えたら
社会のそんな偏った意見も変化できるんだ
とね。
まだまだのところもあるけど
限りなくどっちの社会も前に進んでる。
そう信じてる。